こんにちは、ざわです。
いやー、冬ですね。
冬といえば、雪です。
雪と言えば、そうです。童謡『雪やこんこ』です。
しかし、今まで僕は『雪やこんこ』と真剣に向き合ったことがありませんでした。
私は岩手県に住んでいるのですが、雪国の民として『雪やこんこ』をちゃんと理解していないのは恥ずかしい。
なので今回は『雪やこんこ』について真剣に考えてみました。
「こんこ」とは
そもそもの前提として「雪やコンコン」だと思っている人も多いのではないでしょうか。
正しくは「雪やこんこ」です。
クレイジースタディのライター陣に聞いたところ、みんな「子供の頃はコンコンだと思っていて、何かのきっかけで自らの誤りに気づき己の無知を恥じた」経験があると言っていました。
「こんこ」とは、”ここに来い”という意味の「来う此」が変形して「こんこ」になった言われています。
ちょうど「小便(しょうべん)」が「しょんべん」に変形するのと同じシステムです。
つまり、”もっと降れ”という意味ですね。
ちなみに雪の上に「しょんべん」で絵を描くとたくさん湯気がでます。
「や」とは
一応ここもはっきりしておきましょう。
「雪や」の”や”は、呼びかけの”や”の用法になります。
じいさん「ばあさんや、飯はまだかいのお」の、”や”ですね。
なので「雪やこんこ」は、雪に対して”ここにもっと降ってくれ”と呼びかけている様子になります。
『雪やこんこ』の歌詞について
ここまで把握して歌詞を見ると、おかしな点に気が付きました。
【雪やこんこ】
(1番)
雪やこんこ
あられやこんこ
降っては降ってはずんずん積もる
山も野原もわたぼうしかぶり
枯木残らず花が咲く
(2番)
雪やこんこ
あられやこんこ
降っても降ってもまだ降り止まぬ
犬は喜び庭駆け回り
猫はコタツで丸くなる
どうでしょう。気が付きましたか?
このリリックのパラドックスに。
『雪やこんこ』におけるリリック・パラドックス
リリックのパラドックスが起きている部分(2番の冒頭部)を、わかりやすいように口語訳してみます。
雪よ、もっと降ってくれ!
あられも、もっと降ってくれ!
めっちゃ降ってるけどまだ降りやまねーな。
前半では「雪が降ってほしい」と願っているのに、後半では雪が降り続けていることを嘆いているようです。
ひとりの人間が歌っているとしたら、あまりに情緒が不安定すぎやしないでしょうか。
『雪やこんこ』における犬と猫の振る舞い
続く歌詞に出てくる犬と、猫の振る舞いを見てみましょう。
犬は喜び庭駆け回り
猫はコタツで丸くなる
犬は雪が降っているのを、走り回って喜んでいますね。
対照的に、猫はこたつの中に入っています。
心理描写はないですが、猫は雪を嫌がっていることが読み取れますよね。
これは前半部分の心理の対比とちょうど噛み合います。
この歌詞は”視点が複数”あるのではないか?
それぞれ対応するとこうなります。
犬「雪やこんこ!あられやこんこ!」
猫「降っても降ってもまだ降り止まぬ」
飼い主「犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる」
これでパラドックスが解消されました。
そう、この歌はなんと「視点がコロコロ変わるトリッキーな歌」だったのです……!
いや待てしかし、本当にそんなことがあるか……?
そんなトリッキーなこと……。
1番の歌詞を振り返ってみる
1番から見直してみましょう。
降っては降ってはずんずん積もる
ここでは雪の降る情景を、客観的に表現しています。
山も野原もわたぼうしかぶり
枯木残らず花が咲く
この部分では客観的な視点から情景を擬人化するなど、他のものに喩えています。
想像力が豊かなことが伺えますね。
以上より1番の歌詞は、客観的にみた景色を想像力豊かに表現していることがわかります。
ならば、2番も同じ構造で書かれていると推測できるのではないでしょうか?
結論
「リリック・パラドックスを解消した状態」で、かつ「客観的にみた景色を想像力豊かに表現する歌詞傾向」をふまえると、こう考えられるのではないでしょうか。
飼い主(作詞家)が、雪の降る最中の犬と猫を見て、彼らが喋っている様子を妄想している、と。
つまり、こうです。
飼い主の妄想(犬「雪やこんこ!あられやこんこ!」 猫「降っても降ってもまだ降り止まぬ」)
飼い主「犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる」
めでたしめでたし。
ちなみに作詞家は東くめ(1877-1969年)。日本で初めて口語による童謡を作詞し、滝廉太郎とともに『お正月』『鳩ぽっぽ』などの作品を残した超エラい人です。
(おわり)
読了おめでとう!次はこちらの記事をどうぞ!