デペイズマンという言葉をご存知ですか?
【デペイズマン】
「異なった環境に置くこと」を意味するフランス語で、シュルレアリスムの手法の1つ。日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって、受け手に強い衝撃を与えるもので、文学や絵画で用いられる。(Wikipediaより引用)
まずは代表的な作品をご覧ください。
これらの作品を、どこかで見たことがある人も多いのではないでしょうか。
デペイズマンを僕なりに噛み砕いて解釈をすると……「出会うはずのないもの同士が出会った瞬間を目にした時、急に日常から引き離されたような感覚」といったところですかね。サザエさんの世界にて中島が「おーい磯野!野球しようぜ!」とカツオを迎えにきた磯野家が燃える首里城、みたいな。
僕は可笑しくも美しく思えるデペイズマンが好きです。でも、単に適当なもの同士を引き合わせても、とっ散らかってる感じがして。なかなか良い組み合わせは見つからないのですよ。
出会うはずのないもの同士の組み合わせといっても何でもいいわけではなく、それぞれの内包する意味や見た目のギャップ、かつその上でどことない納得感が同時にないとダメなんですよね。(あくまで僕の感想ですが)
僕はそんなデペイズマンを日々探しているのですが、まあほぼないですよね。そもそもデペイズマンは日常とは対局のものですから。
しかしそんな中、見つけちゃったんですよ。置くだけでどこでもデペイズマンを発生させてしまうアイテムを。
それは、だるまです。
見てください、この堂々たる佇まい。何事にも動じず、たしかな威厳をもって何年もここに居座り続けているかのようです。
それもそのはずで、だるまのモデルとなったのは ”達磨大師” という禅宗の開祖です。9年間も座禅をし続けた結果、手足が腐ってしまいこのような姿になってしまったという伝説があるほど。
だるまの説明はここまでにして、実際に見てもらった方が早いでしょう。
さあ、だるまと共にデペイズマンの旅に出ようじゃありませんか!!
だるまとデペイズマン
天井のマルダ
自宅の天井に、両面テープでだるまを貼り付けてみました。
どうでしょう。全く落ちてくる気がしません。なんという安定感、そして同時に感じる違和感。
「だるまのいる側が床なんじゃないか?」とも思えてきます。
写真を上下反転してみました。ああ、しっくりくる。
しかし現実は逆さまです。
マルダマルダとマルダダルマ
手元にだるまが2つあったので、連結させてみた。だるま一個でも感覚がバグっていたのに、それが増幅された。
写真上のだるまだけ白目なのも、どことなくストーリーを感じさせます。そしてどことなく可愛い。
日常の中に突如投げ込まれた、赤、白、金、黒という力強すぎる配色。そしてありえない箇所への配置。
デペイズマンである。
だるまとドライブ
だるまをドライブにつれてってみた。
なんだか良さげな写真が撮れました。しかしだるまがなければ、ありきたりな写真だったことでしょう。
だるまを普段から車に置いておくことなどまあ考えられないですが、こいつは何故かずっとここに居たような顔をしています。
そんな日常と非日常の融合が、ありきたりな景色を際立たせている。デペイズマンだ。
だるまと日本酒
一緒にお酒を飲んでみた。
うーん……これはシンプルにだるまが似合っていますね。デペイズマンって感じはないけど、普通に良い。
だるまと飲む酒はうまい。
あと、だるまを居酒屋に持ってくと店員さんからめちゃめちゃ話しかけられる。楽しい。
3軒の居酒屋を廻ったのですが、3軒とも話しかけられました。
───ちょっと話はそれますが、ここまで読んで「だるまって、ちょっと可愛いかも?」と思った人もいるのではないでしょうか。
それもそのはず。だるまは幼体図式(ベビーシェマ)の特徴をほぼコンプリートしているので、本能的に可愛く感じてしまうのです。
幼体図式とは、動物行動学者であるコンラート=ローレンツが提唱した、ヒト・イヌ・トリなど多くの生物に共通する外見的特徴で、大人はそれを本能的に可愛らしいと感じてしまうという考え。
たとえばヒトの赤ちゃんはまさに幼体図式の特徴を備えていますが、それにより大人は本能的に愛情行動を引き起こし、保護やお世話をするようになっている、ということです。
幼体図式の特徴を、だるまと照らし合わせてみましょう。
幼体図式 | だるま |
身体に比して大きな頭 | ◎ ほぼ頭 |
前に張り出た額をともなう高い上頭部 | ◯ 額は前に張り出ている |
やや下に位置する大きな眼 | ◯ 目の大きさはそこそこ |
短くて太い四肢 | ◎ 短いどころか、ない |
全体に丸みのある体型 | ◎ 超丸い |
丸みをもつ豊頬 | ○ 髭の曲線で丸みを表現 |
小さい鼻と口 | ◯ そこそこ小さい |
ほら! だるまは幼体図式の特徴をとらえている! つまりかわいい!
閑話休題、デペイズマンに戻ります。
木とだるま
だるまを木の上に乗せると、鳥みたいでかわいい。
しかし、その見た目は全くもってだるまです。
強烈な紅白の色合いと、どこからどう見てもだるまな顔が、まわりの自然とのミスマッチを生じさせています。
それなのに、どうしてこうもしっくりくるのだろう。デペイズマンだ。
だるまと不法投棄
自転車や家電と共に捨てられる姿は、正直かわいそうです。僕だったら家電と一緒に捨てられるのなんて嫌ですし。
しかしだるまはそんな不条理も受け入れて、なおも座禅を続けている。そんな気概を感じます。
こんな捨てられ方をされてもなお、だるまはそこに居るべくして居るのです。これもデペイズマン。
だるまと陳列
「だるまって、実は缶詰らしいよ。保存が効くから」
この写真を見せられたら、なぜか信じてしまいそうな説得力がある。
そんな訳ないのに。明らかな違和感。でもどこかだるまには、缶詰と一緒に並ぶだけの理由がありそうな。そんなsomething。デペイズマンですね。
廃墟とだるま
廃墟とだるまはよく似合う。
「どっしりと そこに居座り 建物と 一緒に時を 重ねたように」
おっと、エモすぎて短歌がこぼれてしまった。
そこにだるまもずっと居たように座っているのに、だるまの赤だけが異様に新しい。それはだるまであるが故か、それとも僕がさっきが置いたからか。
一家に一体、だるまを置こう
デペイズマンとだるまの魅力は伝わりましたでしょうか。
だるまは願いを込めて左目を入れる。これを ”開眼(カイゲン)” といいます。願いが叶ったら右目を入れる。これを ”満願(マンガン)” といいます。
これは江戸時代、天然痘という感染症が流行った時に始まった風習だそうです。天然痘は視力を低下させる症状があり、その完治を願って縁起の良いだるまに目を入れるようになったのだとか。
そこから時は流れ、今ではどんな願い事でもよくなったみたいです。
皆さんもシュールで可愛いだるまを買って、流行り病の収束を願いませんか?
だるまをおけば、そこはすなわちシュルレアリスムなアート作品。ウィットに富んだ刺激的な日々によって、悪疫退散できますよ。知らんけど。
(執筆:のんこのしゃあ)