「#離乳食アート」というトレンドを知っているだろうか?
離乳食をアーティスティックに盛り付け、味だけでなく目でも喜ばせる試み。「キャラ弁」の亜種みたいなものだ。
Instagramでは現時点で1.9万件の投稿がされている。
美しい。お母さん頑張ってるなぁ〜。と同時に思う、「これぐちゃぐちゃになるんだよなぁ……」と。
我が家の娘(0歳10ヶ月)も離乳食が始まっているが、まぁ~大変だ。
手でかき混ぜる。テーブルにこすりつける。地面に投げ捨てる。食事後のリビングはハロウィン翌日の渋谷のような有り様だ。
片付けはお父さんの役目。その日もいつも通り片付けていると、ふと思った。
この「ぐちゃぐちゃ」こそがアートなのではないかと。
そして作者(娘)はどういう思いを込めて制作活動をしているのか……これは調べるしかない!
ただ美術に対して僕はまるっきりの素人。僕があれこれ言っても何の説得力もないだろう。
というわけで今回は、美術を愛しアートに愛された者達……美大の卒業生に娘の作品を評価してもらうことにした。
【人物紹介】
筆者の娘であり、離乳食後アートを手掛ける0歳児。天使。
アーティストとしての活動だけでなく、ブランケットのタグを舐め回す「タグ研究家」としての一面も持つ。関西の美大卒。現代美術の油絵を専攻。
卒業制作では小売店で陳列されている商品をキャラクター化し、買って貰えるようにアピールする様子を絵画で表現した。関東の美大卒。デザイン専攻。
卒業制作ではイラストレーションポスターを制作し、優秀作品に選ばれる。
1枚目:最初の晩餐
「これは大自然を表現している!」「全盛期のジャクソン・ポロック的な力強い抽象画だ!」などと何の知識も美的センスもない凡庸な素人は評するかもしれないが、そのような論調を聞くたびに私は頭を抱えることになる。
この若き才能溢れるアーティストの作品はとても素晴らしい。これからの日本のアートシーンを、ひいては世界のアートシーンを担う存在になるだろう。
もし、万が一にもあり得ないと思うが、ご両親がこの素晴らしい作品が描かれたテーブルを清潔な布巾で綺麗さっぱり片付けるようなことをしていたとしたら、すぐにやめていただきたい。
具材の配色や配置のバランスをエプロンのデザインと揃えている点がポイントで、ほうれん草の形状もエプロンに散らばった丸みのある手書き風のフォントと雰囲気が合っています。
それにより口元を中心として柄と食材が放射状に広がっていくような構図を作っていて、食い散らかした人物の豪快さを感じることができる表現になっています。
テーブルの曲線も広がりを強調していて、画面全体がよりダイナミックな印象になっていると感じました。
……まず、二人とも朝のニュース番組帯で出てます?ってくらいコメント力が凄い。
美大卒ってこんな感じなのか。作品を見る角度がぜんぜん違って面白い。
ちなみにジャクソン・ポロックが気になった方はぜひ検索してみてほしい。
何の知識も美的センスもない凡庸な素人である僕は「おぉ、ジャクソン・ポロックだ!」とまんまと思ってしまった
2枚目:芸術は爆発だ
差し出されたうつわに対して上体を背け、白いテーブルには離乳食を手で薙ぎ払ったかのような動きを感じられる跡が残り、人物はご機嫌を表現しています。
しかし離乳食が飛び散った先は、野生動物と自然風景が色鮮やかに描かれたシートであり、人物の暴挙は非常に生命力溢れる行為であることが示されています。
芸術のスタンダードな表現のひとつに「自然の模倣」がある。大地や木々、動物達の美しさに感動し、それを再現しようとしているのだ。
この作品は、生まれ持った鋭い感性で、自然の包み込む様な包容力と、時に人間の命をも奪う冷酷さという相反する二面生を再現することに成功している。
二人とも表現方法は異なるが、作品から作者の二面性を感じているようだ。
弾けんばかりの笑顔を振りまいたかと思いきや、何が嫌なのか突然泣き叫ぶ……赤ちゃんの毎日はまさに二面性だ。
余談だが、野生動物と自然風景が色鮮やかに描かれたシートは散らばった離乳食が見えにくく、掃除をより困難なものとしている。
新しいシート買いたい。
3枚目:赤い人参に手を伸ばさない少女
この作品は何を表しているのだろうか?
鑑賞者はまず、中央のオレンジ色に視線がいくだろう。その後は周りの点々とした色を順に目で追って行き、何が表現されているのかを懸命に考えることだろう。
ここで賢明な鑑賞者は気付くことになる。この作品はマレーヴィチの抽象画のように、幾何学的な形をアンバランスに配置することで、何の変哲もない白いテーブルに緊張感を持たせているという事に。
これまでの作風とは一見真逆と言っても良いほど変化したように見えます。しかし食い散らかすという行為に作者が込めた思いは本当に変わったのでしょうか。
哀愁を放つ潰され折れ曲がった食材を前に、得意げにこちらを見る人物の表情は、これまでの作品で見られた混沌はただ胃袋に収められたにすぎず、今も我々のすぐ側に存在していることを示唆しています。
この作品で気になったのは、食べ残した人参をどう表現するのか。
二人は僕の想像したハードルをひょいと超えてきた。誰が人参と書いて「あいしゅうをはなつつぶされおれまがったしょくざい」と読むことが出来よう。本気と書いて「マジ」と読んでいた中学時代を僕は恥じた。
まとめ
~最後にお二人には作品を通しての総評を語ってもらった。~
食事は生き物にとって最も重要な行為のひとつです。同時に、我々は成長するに従い、食事に対して清潔感やマナーを重要視するようになります。
しかし作者は生まれもったダイナミックさと爆発力で、身の回りの全てをキャンバスにして食い散らかし、テーブルと床に混沌を生み出し、自らの生命力を表現します。
これは、作者自身歳を重ねてゆく中でいずれ失われる表現方法でしょう。作者の人生において非常に若い時期の作品だからこそ可能な、貴重なシリーズとして記録に残していって欲しいと思います。
1920年代にシュルレアリストが提示した「オートマティズム」という手法をご存知だろうか?
新たな絵画手法を求めた先人たちは、自分達の表現意識の及ばない状態、つまり「無意識」の状態でこそ新たな芸術表現ができると考えたのだ。
すでに長い人生を生きた大人が、本当の意味での無意識の表現などできるとは思えない。どんなに工夫を凝らしたとしても不可能に近いだろう。
しかし彼女はどうだろう? 今回の作品を見て分かる通り、何物にも縛られない素晴らしい作品ばかりだった。
彼女こそが本当の意味での芸術家なのかもしれない。
そして願わくば、汚れた机に対してごちゃごちゃ難癖をつける大人にだけはなって欲しくないものだ。
─── 共通していたのが、二人とも大人になるにつれて失っていく縛られない自由やダイナミックさ・爆発力といった溢れんばかりの生命力を、作品や作者から感じていたこと。
物事の分別が分からない0歳児だからこそ、100%自身を表現出来るのだろう。成長するにつれて人と上手く付き合う・空気を読むことは必要となる。
だからこそ今は親として、全力で自身を表現するサポートをしてあげたい。
そして全国のママパパ~! 離乳食は作るのも、食べさせるのも、片付けるのも、大変だと思う。
しかし、我が子が自身を100%表現出来る時間って意外と短い。是非全力で子どもの表現に付き合ってもらいたい。
そして離乳食後の散らかりをアートと捉えて大いに語ってみてはいかがだろうか?
(執筆:電気とデニム)
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