こんにちは。企業でWebメディアの編集者として働きながら、たまにライターをしているじきるうと申します。気づけばライターをはじめて8年くらいです。
突然ですが、ボクは書くのが嫌いです。いまこの瞬間も文字を書くのがイヤすぎて、ここまで書くのに3時間かかりました。それまではYouTubeで「遠い未来に宇宙はどうなってしまうのか?」みたいな動画を見ていました。10の100乗年後には宇宙のブラックホールがぜんぶ蒸発するらしいです。またひとつ賢くなりましたね。
さて、「ライターって、文章書くのが好きで好きでたまらない人のことを言うんじゃないの?」と思われた方がほとんどかもしれません。しかし、「書くのが嫌い」とぼやくライターは意外なほど多いのです。それも、第一線で活躍している人ですら「嫌い」と言ったりする。
なぜ、ライターは書くのが嫌いなのでしょうか。というより、書くのが嫌いなのにライターを仕事にしている人がいるのでしょうか。
ライターにとって書くことは、はたらくこと
ライターを仕事にしている人にとって、書くことは「はたらくこと」です。
そもそもなぜライターは、文章を書くのでしょうか? 専業ライターであれば「クライアントから頼まれた仕事だから」というのもあるでしょう。仕事として頼まれたから書く、つまり執筆は「賃金のための労働」なのです。
労働は、多くの人にとって辛く逃げたいことですよね。「趣味を仕事にしたら辛くなった」という話はよく聞きますが、ライターにもこれは当てはまります。仕事にした瞬間、書くのがとたんに「労働」となり、嫌いになってしまう人はいるのです。というか、わりと自分もそのタイプです。
一方で「ライターは趣味程度にやってます」といった、副業ライターもいるでしょう。自分のやりたい仕事だけ受けてお金をもらう、という。これなら専業でライターをしている人よりは、心の負担も少なくたのしそうですよね。実際、副業でライター活動をして有名になったものの、「本業を辞める気はない」「副業だから続けられている」という話はよく聞きます。
しかしたとえ副業だとしても、それは「書くのが好きだから」ライターをしているのでしょうか? たまたま書くのがちょっと人より得意で、プラスアルファの収入が得たいから、という方もいるでしょう。はたまた、自分の好きなことを発信して、なおかつお金もらえてラッキー!な人もいるでしょう。
「書くのが好きでライターを始めました!」という人はたしかに多いですが、なぜか暦の長いのライターほど、そういった人は少ないように思われます。「書く時間は労働」と割りきっている人をよく見かけるのです。
熟練ライターさんと話していると、ひとつ気づくことがあります。
「記事を書くのは辛いけど、取材はたのしいからなー」
「企画の打ち合わせが楽しくて仕方ない。これだけ永遠にやりたい」
「書いた記事がバズったときは脳汁出る。これのためにライターやってる」
「自分の書いたSEO記事で検索1位をとったときはやっぱ嬉しいよね」
「クライアントや読者の喜ぶ顔が見たくて書いてる」
「請求書を出すときが一番楽しい」
そうなんです、記事を書くことではなく、その「周辺」や「書いた後」に喜びを感じている人が妙に多いのです。
ライターは今日も、「喜び」のために文字を書く
結局のところ、ライターを仕事にするのは「どこかに喜びを感じているから」です。
「ライタ=書く仕事」と思われがちですが、ライターの仕事は書くことだけではありません。企画打ち合わせ、構成設計、リサーチ、取材、文字起こし、執筆、編集、入稿、公開、拡散……制作内容にもよりますが、ライターの仕事はかなーーーーーり幅広いです。場合によってはライター的な技術だけでなく、マーケティングやSNSなどのスキルも使います。
そして「執筆」部分よりも、その「周辺」部分が好きで、ライターの仕事をしている人は多いのです。
多くのライターにとって、書くことはあくまで「手段」であり、「目的」ではありません。たとえ書くことが嫌いでも、他であまりある「好き」「たのしい」を補完できるなら、仕事として続けられるのです。
もちろん、書くことそのものが好きな人もいます。そんな人は最強です。以前、「書くのが好きすぎて、3000字レベルの原稿を月に150本書いてます」というライターに一人だけ会ったことがありますが、マジでばけもんです。計算すると月に45万文字ですよ。つよすぎる。
別に書くのが好きじゃなくたっていいんです。ライターの仕事の中で、何かしら好きな部分があれば、ライターを仕事にできますし、続けられます。
……まあボクの場合、ライターの仕事よりも「企画」や「メディア設計」とかのほうが楽しくなってしまい、気づいたら編集者側になってたんですけどね。こういうキャリアもありかな。
(執筆&イラスト:じきるう)
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