こんにちは、Web編集者のじきるうです。「編集者」という職について、早くも3年半経ちました。
ボクはもともとWebライターをしていたのですが、編集者になってからは執筆スピードが遅くなった気がします。じつはこれ「編集者あるある」で、編集者のあいだでたびたび話題に上がるテーマでもあります。
なぜ編集者は、記事を書くのが遅いのでしょうか。理由はたぶん、2つあります。
目次
編集者、記事を書くのが遅い理由
理由1. 「記事に対する批判的な視点」が、筆を重くしている
編集者は、コンテンツの道筋を示し、ライターさんの書いた記事をブラッシュアップするのが主な仕事です。それゆえに、記事に対しては常に批判的な視点をもっています。
「このパラグラフ、前半に持ってきたほうが流れスムーズだな……」
「ここの説明、具体例あったほうが分かりやすいな……」
「ここの一文は余計なのでカットしよう……」
「記事のタイトルは……」
「小見出しは……」
そう、常に、批判的な視点を持って編集しているのです。それは、自分が記事を書くときも同じです。記事を書きながら、「ここはデータを提示したほうがいいな」「この説明じゃ伝わりづらいな」と、常に頭の中でグルグルと考え込んでしまうのです。
編集者は文章のプロでありながら、文章に惑わされ続けています。
理由2. 「編集者としての責任」が、筆を重くしている
編集者はふだん、ライターさんの記事に赤入れ(添削)をしています。この日常業務こそが、記事を書くことを遅くしている大きな理由ではないでしょうか。
つまり、「他人様の記事に赤入れするくらいなんだから、テメェは良い記事を書けるんだろうなぁ?? おぉん??」ってことです。編集者がみずからに課した、見えない責任がのしかかるのです。
いや、書けねぇ、書けねぇよ……!!
編集者は、ライターさんの記事を俯瞰して、磨き上げるのが得意だからこそ、編集の仕事をしているのです。編集する能力と、書く能力は、まったくの別物。もちろん、ひと並みに記事を書くことはできますが、良い記事を書こうとすると筆が止まってしまうのです。
これはライターさんに対する、自己満足的な責任感でしょうか?
編集者3年目、執筆が爆速化した理由
じつは上記までの内容は、2年前にnoteに書いたものとほぼ同じです。いま読んでも納得ですし、編集者にはそこそこ共感してもらえるんじゃないかなと。
ただ、編集者3年目の最近になって、文章を書くのがだんだん速くなってきたんです。ときには3,000字の原稿を1時間で書き上げてしまうこともあり、なんならWebライター現役時代よりも速いです。
これについても自分なりに分析したのですが、おそらく2つの理由があります。
理由1. 記事を構造化するのに慣れた
編集者としての3年間、これまでに恐らく1700記事以上を編集してきました。その中で、
「どういう構造で書かれていると読みやすいか」
「どんな流れで書けば飽きずに読んでもらえるか」
「どんな風に書いたら怒られが発生しないか」
などの判断基準が、自分のなかである程度でき上がってきた気がしています。
その「読みやすい記事構造」を、無意識に、執筆しながら落とし込めるようになってきたんだと思います。
かつてはウンウン唸りながらこねくり回していた記事を、いまではある程度パターン化し、それっぽく作りあげられるのです。速く書くスキルというよりは、構造化スキルですね。その編集者としての職能が、記事を書くときにも出ているのかなと。
理由2. 自分の得意なテーマがわかってきた
自分の得意なテーマが、編集者3年目にしてわかってきたのも大きいです。
自分はWebメディアの運営担当に長く携わってきたのですが、「Webメディアに関連したテーマ」であればわりと速筆です。執筆、編集、SEO、SNS、チームビルディング……最近はそういうテーマばかり選んで書いています。知識があり、思考整理に繋がり、書いてて楽しく、そして速い。いいこと尽くめじゃないですか!
逆にいうと、不得手なテーマはいまでも遅筆です。ぶっちゃけ最近は真面目な記事に触れすぎて、クレイジースタディのようなふざけたテーマのものは書きにくくなってきています。こ、これはマズい……! たまには狂った記事も書かなきゃですね。
記事を書くのが速くなった。でもそれって……
「記事を書くのが速くなった!」
一見喜ばしいことかもしれませんが、これには弊害があります。それは「自分の執筆スタイルをパターン化してしまう」ことです。もちろん、フリーライターとして食っていくなら、ある程度パターン化しないとやっていけない部分はあると思います。執筆速度とこなす量は、収入に直結します。
ただ、それでマスターピース(傑作)が書けるかは別です。
3年前、『嫌われる勇気』の古賀史健さんのnoteを読んだのですが、古賀さんは「速筆だった過去の自分」に対して以下のように述べていました。
ひとつの本、ひとつの章、ひとつの段落、ひとつの文、そしてひとつのことばに対する「こらえ性」が、まるでなかった。(noteより引用)
速筆はすなわち、こらえ症のなさ、推敲の欠如につながるとも言えます。
自分自身、最近は記事制作にも慣れ、良くも悪くも「慣れ」が生じているなと感じています。自分の仕事が早くなってきたら、もしかするとそれは、ふんどしを締め直すいいタイミングなのかもしれません。
初心を思い出して、意識的に、「編集者の責任」にビビりながら書いてみようかなあ……。
(執筆:じきるう)
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