「美術館がAKB48とコラボ」する旨のリリースを見た。
外出自粛やソーシャルディスタンスが徹底される世の中で、美術館はすこし遠い存在になってしまった。
そんな状況の美術館をAKB48のメンバーが訪れ、写真を通じてその魅力を発信していく、という趣旨の企画らしい。
ボクはこの企画に対しての賛否を、一切論ずるつもりはない。
今回注目したいのはそこではなく、この企画に対するSNSでの反応だ。
「私は嫌い」を、世論であるかのように述べる
- 「これはSNSで炎上確定だわ」
- 「アート関係者からフルボッコ不可避」
- 「フェミニストを怒らせる最悪のプロモーション」
- 「日本の広告代理店、オッサンしかいないからこんな企画しか立てられないんだよな」
SNSでは、たとえば上記のような意見が見られた。
今回のプロモーションに対して、あまりよく思っていない人は多いようだ。
しかし注目したいのはそこではない。
ボクが気になったのは、なぜこのプロモーションがSNSで炎上確定で、アート関係者からフルボッコ不可避で、フェミニストを怒らせ、日本の代理店はオッサンしかいないのか、という点である。
それらは果たして事実(世論)なのだろうか?
事実となる部分もあるかもしれないが、あくまでこれらは「こうなってほしい、こうであってほしい」という意見や願望にすぎない。
もう少し分かりやすくいうと、「私はこれが嫌い。だからSNSで炎上確定だし、アート関係者からフルボッコで、フェミニスト怒り、代理店オッサンオンリーに違いない!」ということだ。
「私は嫌い!」という意見が先であり、その先は「みんなも嫌いでしょ?」と意見を尋ねているにすぎない。
しかし、この「私の意見」が隠れて、「不確定な世論」のみが表出しているケースは多い。
「私」と「社会」の、無意識な混同が起こっている
2019年11月に、Books&Apps管理人の安達さんが以下の記事をリリースし、SNSで大きな話題を生んでいた。
「事実」と「意見」を区別して話せない人がいる。これは無意識のことであり、注意力の欠如によって起こっていると書かれている。
逆にいうと、注意さえすれば誰でも「事実」と「意見」を区別して話せるという。
今回のケースも、これと似てるのではないだろうか。
「私個人」の意見が「世論」にすり替わったのは、「私」と「社会」を区別して話せなかったことによる混同であり、無意識におこなってしまったことだ。
多くの場合、そこに深い意図や悪意はない。ただの無意識だ。
あ、たまに「世論を誘導するためにあえて混同した書き方をする」なんてケースも見かけるけど……。
それについては長くなるので、また別の機会に書くことにする。
プロライターなら、「私の意見」と「社会の意見」を混同してはいけない
今回書いたことは、SNSではよくある話だろう。
SNSはもともと気軽に使われるものであり、投稿内容を毎度推考している人は決して多くない。
無意識な混同は、気軽なSNSでは度々起こりうる。
しかし、記事を書いて生計を立てるプロライターであれば、これらを区別できる必要があるだろう。
すくなくとも、記事を書いているときは。
というのも、ライターが「私の意見」と「社会の意見」を混同してしまうと、読者に間違った情報を与えかねないからだ。
たとえば今回の件について「SNSで炎上確定!」と書くなら、炎上状況についてリサーチすべきであり、想像で書いてはいけない。
また「広告代理店はオッサンしかいないためこのような事態が発生した!」なんて、想像と事実を混同した記事を書いたものなら、それこそ炎上モノだろう。
そして誤情報発信にかんする責任は、多くの場合メディアがもつことになる。
メディアが叩かれても、ライターが叩かれることは多くない。
以前、ボクが運営するメディアの記事がSNSで叩かれたことがあるが、そのときはメディア運営主のボクに矛先がきた。ぴえん。
……といった感じに、意見の混同はメディアに迷惑をかけかねない行為である。
ライターの仕事をするなら、気をつけるべきポイントだろう。
記事を書き終えたら、一度頭を休ませて、あとからゆっくり見直すのがおすすめだ。
とくに、意見について書かれている部分は。
仮に「私の意見」を書くとしても、その旨を正しく明記しよう。
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