休み中もずっと仕事のことが頭にある私にとって、フリーランスほど性分に合った働き方はない。
正社員時代、土日に月曜日からの仕事のことばかり考えていて辛かった。フリーランスは決まった休日がないので、「休みの日に仕事のことを考えて損した」と感じることはない。
しかしわがままなもので、フリーランスになって休みがとれなくなると不満も出てきた。週2休日がとれる人もいるのに、なぜ私は休めないのか。
私にとっての解決策はひとつだった。やりたいライターの仕事にチャレンジしながら、意識的に仕事を減らすことだ。
フリーランスになってから、現在その結論に至るまでの経緯を書いてみたい。
駆け出しフリーランス時代
20代も半ばを過ぎた頃。正社員の仕事をうつで退職し、離婚もした私は、フリーランスとしてライターと日本語教師をしていた。
しかしそれだけでは東京で一人暮らしできないと思い、イベントコンパニオンになった。イベントコンパニオンについて、詳しくはこちらの記事を読んでもらえると嬉しい。
最初の結婚の頃は夫の扶養に入り、その前は正社員だったので税金は給与から自動的に差し引かれる。
そのため特に気にしていなかったのだが、フリーランスになって国民保険、国民年金、住民税の請求が毎月来るようになったのは衝撃的だった。引かれた額を見て泣いたこともある。
ある年の12月、イベントコンパニオンとナレーターの仕事で24連勤した。
直後、私はインフルエンザで倒れた。
イベントコンパニオンはモデルと同じ扱いで、決定した案件をキャンセルするなんてありえない。マネージャーに叱られ、休んだ1週間でギャラが想定額より10万近く減った。
週5ライター、週2日本語教師
数年後。
私は5歳年下の夫と再婚し、コンパニオンは完全に辞めてフリーライター兼日本語教師に戻っていた。
「好きな仕事で、東京で生活できるレベル以上のお金が欲しかったら、休日をなくせばいい」
イベントコンパニオンを含め、以前からアイドルとか秘書とか受付とか、とにかく人と接する仕事をしていたので、コミュニケーション能力とビジネスマナーには自信がある。
それと企画を武器にして、いろいろなメディアに売り込み、依頼が来た案件はどんどん受けた。日本語教師の仕事の日は朝から晩まで日本語学校であくせく働いた。
新しいこともやってみたいと思い、書評や映画評、日本に興味がある外国人向けに選書も始めてみた。なかなか面白い。
私は周囲から「まじめすぎる」とよく言われる。そして「集中すると8時間とか平気で書いてるよね……」とも。
ある朝、わたしは起き上がれなくなった。いやな予感がした。私は一度、正社員の仕事をうつで辞め、前の夫と離婚する直前はメンタルクリニックにも入院していた。
まずい。うつの前兆かも知れない。
はっと飛び起き、わたしは自分のスケジュールを再確認した。平日でできなかった仕事は土日にやればいいや~と思っていた私は、なんと週2日本語教師、週5ライターという生活を送っていたのだ。
週4取材が入っている週もある。どう考えても、スケジュールを詰め過ぎている。
「やめること」と「始めること」
ほんの少し前、休日を作るより、週5フルタイムで働いて、残りの週2は4時間勤務の日を作るのがライフハックになると思い試してみた。
数日で無理だとわかった。業務時間外もついメールチェックしてしまうし、Slackで仕事の連絡がきたら、なるはやで反応したい。あっという間に1日の業務時間は4時間を超える。
「時間」ではなく、仕事の「内容」を変えるしかない。
私は自分が関わっている媒体と、それぞれの案件に割く時間、日本語学校の授業のために割いている時間を書いてみた。
私はこれからもチャレンジしたい媒体がある。どこかの媒体で書くのをやめなければならない。
仕事相手と信頼関係を築けない媒体は、どんなに頑張ってもだんだん辛くなってくる。やめよう。バツをつけた。
好きな、もしくは尊敬できる編集者がいる媒体は残したい。マルをつけた。
フリーランスなので、この辺は気楽だ。辞表もいらない。いま関わっている案件でラストにする、と連絡すれば良いのだ。
絶対残しておきたいのは、書きたいことを書かせてもらえる媒体だ。私にとっては在留外国人、書評、映画評、エッセイだ。
これは人間関係など考えず、すばやくマルにした。
やめる媒体はふたつだけだった。
あとは、日本語教師として日本語学校で受け持っているコマ数を来期から減らし、書きたいことを書かせてもらえる媒体に売り込みできる余裕を持たせるしかない。
フリーライター専業になった場合のリスク
実は少し前まで、日本語教師をやめようとすら思っていた。
「ライターだけで生活できるくらいの収入があるなら、それも良いんじゃない?」と家族にも言われた。
問題点はすぐに浮かび上がった。
メディアにもよるが、ライターは執筆した記事の原稿料が支払われる時期が予想しにくいのだ。
最終稿提出後? 記事公開後? どちらにしても、その1か月後になる媒体がほとんどだ。
取材記事なら、だいたいが取材先の最終確認も入るので、なおさらギャラをもらえる時期が読めない。
説得力をもたせるために、2019年度の大まかなライター収入を明かそう。
いちばん多く入った月は手取りが約35万円くらいだった。少ないときは約5万円だった。
固定本数を決められる媒体で書かせてもらったり、編集業務も引き受けたりしてなんとかしのぎたいと思っているが、そうなると業務に割く時間がまた増えるので、ままならない。
この不安定さが、フリーランスのメリットでもあり、デメリットでもある。
年収一千万円を越える可能性がある反面、メディアがつぶれたり病気になったりすれば、年収100万円以下になるリスクもある。
私は、「日本語教師は働いた分の給与が決まった日に入るし、日本語教師をしていると在留外国人関係の案件をまかせてもらえることが増えるので、やめられない」という結論に至った。
これは、つい先日のことである。
案件を取捨選択して、新しいことにチャレンジ
ライターだけではなく、フリーランス全般に必要な意識。
私個人としては、チャンスをつかむために、スケジュールにある程度余裕を持たせることだと思う。
余裕をもたせたのにチャンスがつかめなかったときは、思い切って、空いた時間を「休み」にしてしまえば良い。
そのために、フリーランスは苦渋の思いで「断る」「今後この会社・編集部とは仕事しない」と決めることも時には必要である。
怖い。関わっているメディアが突然なくなることもある。「今この案件を断って良いのか」と不安になる。
結論を言うと、良いのである。
チャンスが一度しかやってこないなんてことは、人生でほとんどありえない。
次から次へと売り込みをすれば、新しい人や媒体と仕事をするチャンスができる。
そこで関わる人たちと相性が合えば、今まで以上に大きな花を咲かせればよいのだ。
心がすっと楽になっていった。
(執筆:わかりお)
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